やばいデジタルー''現実''が飲み込まれる日

NHKスペシャル取材班(2020)講談社現代新書

・デジタル社会におけるフェイクとプライバシーについての問題点について考えさせられる一冊。

・フェイクについては、2020年の台湾総統選挙をめぐるフェイクの実態に迫った。両陣営に対する事実無根・荒唐無稽なフェイクニュースが飛び交う中、Facebookは選挙の公正を掲げ右派のアカウントのみを次々と凍結していった。実際にフェイクニュースの総数は右派の方が多いことは事実であるようだが、左派の同様の事実無根のフェイクニュースを垂れ流すアカウントは無事であった。このことが更なる対立を生むことになる。右派はこのプラットフォーム側の処分は不公平であるとして、ますますフィルターバブルに籠り現実に対する捉え方をどんどんゆがめていく。

ファクトチェックにも主観が介在することは否定できないし、フェイクではないが誤解を招くような投稿まで規制対象にすることは表現の自由の観点から望ましくない。オードリー・タン氏はファクトチェックによるフェイクニュース排除が不十分であることを認め、情報公開をどんどん推し進めることにより市民の不安を取り除くことが重要であると述べた。フィルターバブルに閉じこもることなく、関連する情報を提供することで熟慮の機会を与える。私もこの態度こそが民主主義的なデジタル社会にふさわしいと思う。

・プライバシーの問題については、Googleの検索履歴・行動履歴などからある人がどんな人物であるか明確になるまでのプロファイリングの過程が面白かった。現実問題香港のデモの場合は通信業者が捜査機関にそれらデータを提供し、デモ参加者の逮捕に用いているようであった。日本に置き換えたときに、表面上は平和な日本においてプライバシーを放棄して利便性を採っても直ちに問題はなく、捜査機関への信頼も篤くなるのは理解できなくもないが、香港の現実を見ると少し無頓着すぎるのではないかと感じた。